2011年11月29日(火)
初冬の自然美。
前略 行雲より。
今月の窯焚きもやっと終了し、ほっと一息。
いつもながらの長丁場をのりきった後は、何ともいえない達成感がある。
毎回思うが、この窯焚きと窯出しの瞬間のために、
我が人生を歩いていると言っても過言ではないだろう。
寒さ、睡魔と闘いながらも、陶屋にとっての「締めの仕事」。
それが窯焚きだ。
これだけは絶対に他人には任せられない。
陶を生業とするものの宿命である。
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さて、本日は窯焚き終了後の休息日。
あいにくの曇りだが、たまった洗濯を干そうと外に出た。
ところが、どうにも南天の木が日差しをさえぎっている。
このうっそうと茂る大群をまとめて伐採してしまえば、
かなり日が差し込むので洗濯を乾かすのに最適。
早速、1本づつ切り取ることにした。
のこぎりと剪定バサミを持って切っていく。
久々の野良仕事がなんとも心地いい。
震災以後、家庭菜園も中断しているので、
身体が自然と戯れたがっているのだろう。
木々に触れ、自然と遊び、
何だかわからないがエネルギーが身体に充電されていくのを感じた。
気がつけば数十本以上の南天を切っている。
1本1本枝葉を取り、ただの棒きれの状態にする。
この形にしておけば保存も楽だし、何か棒状のものが必要なときに重宝する。
ドアのかんぬき、素振りの道具etc‥。
アイデアひとつで何にでも応用できる。
自然から享受されるもので要らないものはひとつとない。
ところが、最後の1本がどうしても切れない。
南天の実がついているのである。
この実と枝葉のバランスが絶妙で、切るにはもったいないのだ。
しかし、場所的にその1本を切らないことには、洗濯場の天日干しに影響する。
ん~ん、どうしたものか。
かたわらに無造作に転がっている焼き締めのとっくりを発見。
実付きの南天はそちらに動いてもらうことにした。
で、この1枚をパシャリ。
自然の芸術作品をしばし堪能させてもらおう。
ぽろろん。
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2011年10月26日(水)
無線LANてどうなの。
前略 行雲より
秋の気配もすっかり色濃くなってきた昨今、今日の熊谷は風の強い一日だった。
まだまだ日中は暖かいが、朝晩はロクロで使う水も湯水になってくる。
寒くなると食欲がわくのはなぜだろう。
冬に備えて身体が脂肪を溜め込もうとしているのだろうか。
そんなことを考えながら、お菓子をついポリポリと食べてしまう自分がいた。
さて今回の写真はこれだ。
無線LANのアクセスポイントである。
以前から無線LANを導入したかったのだが、数年前に一度試したことがある。
その時はまだ異なったメーカー間での接続はやってみなけりゃわからないって世界だった。
当然、接続成功するまでもなく、せっかく買ってきた機器を返品したのを覚えている。
そんな折り、最近よく聞くwi-fiってのを調べたところ、
異なったメーカー同士でもwi-fiで認証されている機器なら問題なく接続できるとのこと。
早速、我が家のパソコンも無線LANできるのか試したくなった。
無線LANの機器もいろいろあるが、まずひとつが無線LANルーターと呼ばれるものがある。
ルーターってのは簡単に言えば、通信専用のマシンだと思えばいい。
常時接続だとモデムにパソコンを直結してもネットにつながるが、
ルーターを間にかました方が、セキュリティ上、安全にネット接続できる。
このルーターをかましたパソコンをネット側から見た場合、
パソコン本体を全く見ることができないらしい。
ネットからルーターまでは何とかわかっても、
その次のパソコンの存在がわからなくなるとのこと。
てことは自分のパソコンのセキュリティが守られることになるので、
ルーターを入れていない方はぜひ導入をお勧めしたい。
さて、我が家のネットへの接続はフレッツADSLなので、
モデム+ルーターとなっている。
てことはルーター付きの無線LANはいらないので、
アクセスポイントのみの機器であればいい。
アクセスポイントってのはその名の通り、ネットにつなげるための中継機器のことだ。
こいつにパソコンが無線でつながれば、イコール、ネットにつながったことになる。
さて、早速写真の無線LANを導入してみよう。
箱から出して、LANケーブルをつなげて、自宅のルーターの空き口に差し込んでみる。
電源を入れてしばらくするとランプが点滅。接続可能の合図だ。
パソコンを立ち上げると無線を探している。
お互いのWPSボタンを押すと接続完了。
なんともあっけなく接続できてしまった。
ちなみにこのWPSてのも他社のAOSSなんかと同じで、
お互いの機器のボタンを押すだけで接続できるって便利な仕組み。
ほんと機械の進歩ってのは早い。
以前試した時はあーじゃない、こーじゃないと半日ががりだったが、
いとも簡単につながってしまった。
いやーすごいものだ。
問題は接続スピードだが、
さすがに有線のLANケーブルと比べると若干時間がかかるかも知れない。
これとてさほど気になる程ではないし、
動画もカクカクしないで普通に見ることができる。
パソコン周りのケーブルが減っただけでも、かなりすっきりした。
こいつは使える。
ぽろろん。
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2011年9月25日(日)
それでもみんな歩いてる。
前略 行雲より。
本日の熊谷は快晴の一言に尽きる。
暑くもなく寒くもなく快適な日中だった。
久しぶりに写真が撮りたくなって、我が愛機キャノン10Dを出してみる。
案の定バッテリーが上がっていた。
充電器にかけたが満タンが待ちきれずに、残量半分の状態でカメラに装着。
自転車に乗って撮影散歩に出発だ。
ふらっと出た田んぼにコスモスが咲いていた。
思わずパチリ。
久しぶりのシャッター音が、耳に心地いいメロディーを運んでくれた。
さて、今回の写真はこれだ。
「大人の流儀」である。
著者は作家の伊集院静氏。
エッセー本のベストセラーらしい。
もともと彼の小説などは読んだことはないのだが、
いつか手にとって読んでみたいと思っていた。
理由は一つ。
彼のかつての奥さんが今は亡き夏目雅子さんだったからだ。
生前の夏目さんを見かけたことがある。
まだ私の若かりし頃、
日本武道館で、ある女性歌手のコンサートが行われていた。
開演となりあたりが薄暗くなると、
私たち周辺の席にいろんな芸能人の方々がお忍びで入ってきた。
当時の大物俳優やら有名女優やらが、
多数のスタッフに囲まれながらひっそりと席に座った。
その中に夏目雅子さんがいた。
左後ろの3,4席ほど離れたところだろうか。
会場のみんなは舞台を見ているが、
私たちの席周辺はざわざわ・ひそひそのオンパレードである。
何人かの人が夏目さんに握手を求めた。
ニコニコしながら心良く応じている様を見て、私も席を立ち上がり握手を求めた。
にっこりと微笑んで握手してくれた感触は今でも忘れない。
そんな経緯もあって、
彼女が夫として選んだ人の作品は何としても読まねばと常々思っていた。
彼は小説家だが、今回は小説ではなくエッセー本。
しかも彼が今まで一切書かなかった夏目さんとの思い出の章もありということで、
早速本屋で手にとって読んでみた。
各章は春夏秋冬に分かれており、
読んだ当初はさらっと読んで、すぐにブックオフ行きだろうと思っていたのだが、
春を読み、夏を読み終えた頃には常に持ち歩いて読むようになり、
最終章を読み終えた後には、
しっかりと我が家の書棚の一員になってしまった。
今でも時折読み返す。
内容についてはここでは書けないが、印象に残った言葉を紹介しよう。
本書の帯にもあるので、抜粋してみる。
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「いろいろ事情があるんだろうよ・・・」
大人はそういう言い方をする。
なぜか?
人間一人が、この世を生き抜いていこうとすると、
他人には話せぬ事情をかかえるものだ。
他人のかかえる事情は、
当人以外の人には想像がつかぬものがあると私は考えている。
人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている。
***********(大人の流儀 本書帯より抜粋)
興味のある人はぜひ読んでほしい。
個人的には本書68ページの、
麻雀帰りの著者が宿無し風の男に煙草を渡すくだりも好きだ。
映画のワンシーンを彷彿させる。
ぽろろん。
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2011年8月29日(月)
巨匠から感じる。
前略 行雲より。
8月ももうじき終りを迎え、今週には初秋の9月になる。
芸術の秋も、もうすぐこちらに向かって駈け抜ける準備をしているだろう。
何かを始めるのはそろそろだよと、季節が語り始めている。
さて、今回の写真はこれだ。
「巨匠に教わる 絵画の見かた」という本である。
西洋絵画の入門書は書店でもいろいろ出ているが、
あまり細かいことは抜きにして、
各巨匠の名言をちりばめながら紹介していこうという類の本だ。
絵画に混じって各巨匠がイラストでコメントを言ってるので、
理論うんぬんよりも絵画を感覚で感じてみたい人にはお勧めだ。
この本に出てくる数十名の巨匠の中から、
今回はピカソとポロックという二人の画家を紹介していこう。
まずピカソ。
最初に紹介するのはこれだ。
ゲルニカである。
教科書にも載ってるくらい有名な絵だ。
戦争をテーマにしたものらしく、
たった1枚の絵からピカソの感じたスペイン内戦とは
どういったものなのかを伺い知ることができる。
写真で見ると小さいが、実物はかなり大きなものらしい。
ぜひ一度は本物を見てみたいものだ。
お次はこれ。
「アビニヨンの娘たち」
キュビズムの発端となった作品だ。
ちなみに「キュビズム」とは何なのか。
Wikipediaから抜粋してみる。
「20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始され、
多くの追随者を生んだ現代美術の大きな動向である。
それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、
いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収め、
ルネサンス以来の一点透視図法を否定した。」
~とある。
ある一つのものをいろんな角度から眺めて、
それらを一つのキャンバスに集合させる。
完成した絵はかなり強烈なインパクトを発する。
ん~ん、大胆なことを創造するものです。
そして、最後はおまけ。
牡牛の頭
こちらは絵画ではなく、立体造形の作品だ。
自転車のハンドルとサドルを牛に見立てて鋳造したもので、
素材のブロンズの質感がなんとも味わい深い。
これが普通のハンドルとサドルだったら子供のお遊びなんだろうが、
芸術の域にまで高めてしまうピカソの実力に脱帽だ。
さて、もうひとりの巨匠ポロック。
彼の作品を1点だけ紹介しよう。
題名は「エコー」。
どうだろう。抽象絵画の決定版。
筆先からしたたり落ちる絵の具を、
ドロッピングだけで表現するという画期的な技法だ。
具象画と違って、見る人の感性によってどんなものにも受け取れる。
これを見て一気に抽象画のファンになってしまった方もいるのではないか。
まさに「お見事。」の一言に尽きる。
他にも私の好きなモネやゴーギャン、ミレーなんかの作品もあり、
とても全てを紹介しきれない。
興味のある方は書店で手にとって続きを見て欲しい。
さて、こういった巨匠たちの作品を陶芸にどう生かすか。
見て、感じて、自分の中でより熟成させる。
キャンバスを土に変えて、
内面からほとばしるエネルギーを土にぶつけてみる。
その時、新しい何かが生まれるかも知れない。
はたまた何も生まれないかも知れない。
無から有か。有から無か。
やってみなけりゃ、何も始まらない。
ぽろろん。
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2011年7月31日(日)
余白も大事よ。
前略 行雲より。
暑い夏も小休止なのか、ここ数日は曇りやら雨やらで
太陽の日差しがきついといった感じが無い。
ただ相変わらず蒸し暑さは続いているので、
エアコン+扇風機を上手に使い、この夏場を乗り切りたいものだ。
さて、今回の写真はこれだ。
「フェルマーの最終定理」という文庫本である。
ノンフィクション科学系の人気本ということで、
思わず手にとって読んでみた。
表題から数式満載の感があるが、そんなことはない。
読み始めてから飽きさせずに、ぐいぐいと内容に引き込まれてしまう。
そんな類の本だ。
ところで、フェルマーの最終定理とはなんぞや。
その前に、まず数学界では難問がよく懸賞金に掛けられるらしい。
有名どころではアメリカのクレイ数学研究所で
100万ドルの懸賞金が掛けられた
ミレニアム懸賞問題と呼ばれる7題難問がある。
題名だけ紹介しよう。
P≠NP予想
ホッジ予想
ポアンカレ予想(解決済み)
リーマン予想
ヤンーミルズ方程式と質量ギャップ問題
ナビエーストークス方程式の解の存在と滑らかさ
BSD予想
題名を呼んだだけでは、なにがなんだかさっぱりといったところだ。
で、これらの問題の意味をちょっとさらってみるのだが、
読んでいる途中で挫折してしまう。
数学を専門に学んでいる人でないと、
問題文の意味すらわからないことが多いのだ。
フェルマーの最終定理も懸賞金が掛けられていたのだが、
上記の7題難問と違って非常にシンプル。
それがこれだ。
x^n + y^n = z^n (xのn乗 + yのn乗 = zのn乗)
この方程式はnが2より大きい場合は整数解をもたない。
どうだろう。非常にとっつきやすい問題文ではないか。
上記の内容を証明すればいいのだ。
この問題を見てあれっと思う人もいるだろう。
そう中学時代に習ったアレである。
直角三角形の斜辺をz、その他の辺をx、yとした場合
次の方程式が成り立つ。
x^2 + y^2 = z^2
有名なピタゴラスの定理だ。(別名 三平方の定理)
フェルマーの最終定理は
この誰もが一度は聞いたことのある定理を少々いじったもので、
わかりやすいというのが人気の理由らしい。
で、どうやってこの問題が生まれたのか。
1600年代にフランスで生まれたピエール・ド・フェルマーは
裁判所で役人をしていたが、
趣味で数学の問題を作っては解くといったことをして楽しんでいた。
そんなフェルマーがある書物に出会う。
「算術」とよばれる書だ。
この書のピタゴラスの定理の項を読んでいた彼は、
この数式をいじり始める。
x^2 + y^2 = z^2の2乗を3乗にしてみる。
おやっ、この式は整数解がないぞっと。
で、3乗、4乗と数を増やして試してみる。
ありゃりゃ、これらも整数解が全くないぞっと。
そして彼はこの算術の余白に一言記す。
「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、
余白がせますぎるのでここに記すことはできない。」
この瞬間、およそ300年以上に渡って
世界中の数学者たちが挑戦しては打ちのめされる難問
「フェルマーの最終定理」が出現したのだ。
なんともロマンのある話ではないか。
ほんのちょっとしたいたずら心で余白にメモしたのかも知れない。
しかし、そんな出来心がその後の数学界に多大なる貢献をしようとは・・・。
その後1994年、数学者アンドリュー・ワイルズによって
この難問はついに証明される。
そのあたりの詳しいいきさつは、ぜひ本書を手にとって読んでみてほしい。
さあ、我々も手持ちの本の余白に記してみますか。
「土を焼かないで陶磁器を作る方法」
「俺はこの方法を知っている。
だが余白がせますぎるので、ここに書くことはできない。」
ぽろろん。
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2011年7月1日(金)
時代遅れの人気者。
前略 行雲より。
震災からもうすぐ4ヶ月になろうとしている。
最後にエッセイを更新してからしばらく経つが、いつ再開しようかと考えていた。
原発はいまだに収束していないが、メルマガ発行元より催促のメールが来るようになってきたので、
そろそろ再開してもよいと判断した。
「災害は忘れた頃にやってくる」とはよく言う言葉だ。
今回の震災も数百年に一度の大津波を起こし、
東北や北関東に甚大な被害を被ったが、
我々人類は自然に生かされているということをしみじみと感じた震災でもあった。
かつての恐竜が地球の王者だったように、21世紀の今、人間がこの地球界に君臨している。
宇宙レベルで見れば頻繁に起こっている原子核反応を、
人類は大気圏の中で簡単に行える術を持ってしまった。
結果、地球上にない核生成物を大量にまき散らしている。
電気はエネルギーとして確かに重要なものだ。
しかし、そのエネルギーを危険な核生成物と引き換えに得てもいいのだろうか。
自然に害のない太陽光発電や風力、水力。
原子力に頼らない発電法を今模索する時がきたのではないか。
数百年後の地球は、まだ青くて美しいことを願ってやまない。
さて、今回の写真はこれだ。
扇風機である。
これから節電の夏に入ろうとしているが、今この扇風機が飛ぶように売れているらしい。
今さら扇風機なんて、涼しくなる足しになるのだろうかって感じだが、
これが予想外に効果があるようだ。
先日テレビで、室内にいる人の体感温度を25度にする実験を行っていた。
まずはエアコン単体。こちらは冷房温度を25度に設定する。
もうひとつはエアコン+扇風機。
こちらはエアコンの温度を28度に設定し、プラス扇風機を利用する。
どちらも人体のそばに温度計をおいて25度になるように調節する。
一見するとエアコン+扇風機ってのは、2つも電気製品を使っているから、
非常に電力を使いそうに感じる。
しかし、部屋の室温を28度から25度に下げるのは相当な電力を使うらしい。
正確な数字は覚えていないが、
室温を3度下げるのに必要なエアコン電力の
およそ数分の1位の電力量で、プラス扇風機の勝利となった。
筆者ももちろん、エアコン+扇風機なんて、
なんで無駄なことをしてるのだろうと感じていた者の一人で、
そんな無駄するならエアコンの温度を下げろよってな感覚でいた。
ところがどっこいの扇風機。
風を送るだけの時代遅れになりそうなこの品こそが、
節電に大いに貢献する代物だったのだ。
どうりで売れる訳だ。
普通の置き型扇風機のみならず、
パソコンのUSBにつなげるだけのミニ扇風機なんかも売れているらしい。
こちらは自分専用で首振りなんかはできないものが多いが、
USBでまかなえる程度の電力だし、
無いよりはあった方が涼しいらしいので、
パソコン作業のお供にぜひ使いまくってほしい。
万一、計画停電になってもノートパソコンのバッテリーを使えば
USB経由で使用できるので、停電時の暑さ対策にもなる。
今こそ昭和の時代に帰って、扇風機、うちわ、水バケツに素足突っ込みなど、
ありとあらゆる手段を講じる時なのかも知れない。
たかが扇風機、されど扇風機。
ぽろろん。
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2011年2月19日(土)
紐作りもいいもんだ。
前略 行雲より。
つい先日、年が明けたと思ったら、もう2月の下旬に入ろうとしている。
大雪の寒さも過ぎて、暖かい日もちらほら出てきた。
本日は風がやや冷たいが、室内にいると外には春の訪れが近づいているかのようだ。
庭の梅も咲いて、紅白の花がきれいに顔を出す。
おっと、花が咲くってことは花粉のシーズンが来たってことだ。
今年は去年の8倍の花粉が舞うらしい。
ん~ん。準備万端にせねば・・・。
さて、今回の写真はこれだ。
土造形が終了した壺である。
最近は壺やら置き物やらの大物を中心に作っている。
こういった大物は紐作りがいい。
ロクロでは出ない無骨感というか、手作りのゴツゴツ具合が微妙な味を醸し出してくれるのだ。
もちろん、電動ロクロのキリッと引き締まった壺もいいのだが、
大昔の陶工が作ったような、1本1本を紐で重ねていく様が好きでしょうがない。
こういった紐作りの壺は焼締めに限る。
釉薬は掛けず、土味だけで勝負する。
薪窯で火前に置いて灰をどんどん掛けるのが理想だが、
ガスや灯油窯の還元炎できれいに焼かれた焼締めもいい。
ここら辺は各人の好みの問題だろう。
また、素焼きされた壺や大皿などの大物を見ると無性に絵が描きたくなる。
そのまま細工せずに焼いた方がいい場合もあるが、
太めの筆でエイヤッと絵付けしたくなるのだ。
造形も楽しいが、思いのままに描く絵付けもこれまた楽しい。
写実的な絵や抽象画など、気まぐれに筆を走らせると焼き上がりのイメージがどんどん膨らんでいく。
この辺が造形とはまた別の陶芸の魅力かも知れない。
さて、この紐作りの大物製作。
作り方のコツは硬くなり始めた土を使うってこと。
水分を多く含んだ土だと土台の成型でつぶれやすいし、
土が手について作りづらいのなんのってもんじゃない。
それと一気に作るのではなく、土台部、中間部、
上部といった具合に3~4回に分けて作るといい。
ただ単純に垂直に積み上げていくのなら一気に作れるが、
写真のように高台部からぐっと張り出すように作るには、
土台を作ってからやや乾燥させる時間が必要だ。
そうしないと途中で土がぺったんこにつぶれてしまう。
紐を3、4段組んでいって指先でつなぎ目を整え、また積んでいく。
ある程度の高さに積んだら、たたき板でペンペンと土を叩いて、
指跡を消しながら土を締めてやる。
つぶれない程度の高さでやや乾燥させ、次の部分をまた作るといった具合だ。
ちなみにこの写真の壺で2回に分けて作っている。
あまり大きくない壺なので、土台部で1回、上部~口作りで1回だ。
口作りは作者の個性が出やすいので、今回は唇型にして、ややお茶目感を出してみた。
果たしてどう焼き上がるのか。
今から火入れが楽しみである。
ぽろろん。