2022/11/29 16:31
2009年7月25日(土)
いっちょ、撮りますか。
前略 行雲より。
大雨が降ったかと思えば、晴れたり、また降ったり。
野菜の生育にはもってこいの天気だが、畑の雑草がすごいことになってきた。
「農業は雑草取りなり」とは聞いていたが、
切っても切っても、すんごい勢いで伸びてくる。
人力ではとても無理だ。自然の力の強さをこれでもかと見せつけられる。
農家の人たちが草刈機やトラクターで雑草対策をしているのがやっとわかってきた。
いっそのこと、草ぼうぼう栽培でいきましょか・・・。
さて、今回の写真はこれだ。
庭先に生ったゴーヤを一眼レフカメラで撮影したものである。
撮影データはこれ。
キャノンEOS10D EF50ミリ F1.8 絞り優先 F値2.5
シャッタースピード1/1500秒 AWB
またしても写真を趣味にしている人にしかわからない数字だが、
今回は写真機材の一眼レフと通常のコンパクトカメラの違いにスポットを当てて、
サクッといってみよう。
昨今のデジタルカメラ市場の勢いはすごいようである。
フィルムよりも手軽に写せるデジタルカメラはパソコンと共に普及し、
一家に一台は当たり前になってきた。
今や携帯電話にもカメラがくっついているご時世である。
国民総カメラマンの時代だ。
さて、それほどまでに普及したカメラだが、ちょっと視点を変えて、
芸術作品を撮りたくなった時どうするか。
いつもと違う、友達とワイワイ言いながら撮影するのではなく、
じっくりと被写体を見つめて、そっとシャッターを押す。
そんな心境になった時に必要なカメラ・・・。
それが一眼レフだ。
一眼レフって何?って人に。
カメラ屋さんに行くと、黒い大きめなボディで、やたらレンズの大きいカメラがあるでしょう。
小脇に交換レンズが何本か置いてあるやつ。
それが一眼レフと呼ばれるものです。
普通のカメラとどこが違うの?って人に。
写真を「表現」する手段に使えるんです。
例を挙げましょう。
この写真を見てほしい。
通常のコンパクトカメラで撮影したものだ。
この写真を見る限り、作者がなにを撮りたいのかよくわからない。
何となく「ゴーヤ」っくらいのもんだ。
そんな時に同じ位置で、同じ作者が一眼レフを使うとこうなる。
「右のゴーヤを見せたいのね。」ってのが一目瞭然。
もちょっと極端な例を一つ。
何とも言えない、ただの写真だ。ごちゃごちゃしてて何も感じない。
これを一眼レフで撮ると・・・。
背景がぼけて、「右側のちっちゃいゴーヤとその周辺を撮りたかったのね。」ってのがわかる。
そう。撮影者の表現したいものが見る人に伝わるのが、一眼レフの魅力なんです。
世に芸術と呼ばれるものは多い。
絵画、陶芸、音楽、その他たくさんのものがある。
その多くの芸術は本人のセンスや地道な努力の賜物で表現される。
しかし、写真は他の芸術と違って入門の敷居が低く、カメラを持ったその瞬間に、
人を感動させられる作品が撮れる可能性がある。
もちろん大御所の「写真家」と呼ばれる人達に比べたら、大したことはないかも知れない。
でもいいんです。
本人が満足ならば。
例えば、家族やその周辺の人達の写真。
これらは他人が見ても何も感じないかも知れない。
しかし、撮影者から見れば、永遠に記憶に残る一瞬を切り取っている。
数年後に思い起こして見た瞬間、撮影時にタイムスリップできる。
風景、乗り物、人物、なんでもいい。
思いついたら即シャッター。
「撮影する」から、「表現する」の世界へ・・・。
ぽろろん。
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2009年7月10日(金)
団子はいいよ。
前略 行雲より。
本日の熊谷は暑い。
まさに「暑いぞ!くまがや」。
今年も40度を越えるのであろうか。
こんな暑い日はイチゴシロップのかき氷しかないでしょう。
かき氷は絶対イチゴ。
ここだけは譲れないと、天を見上げてふと思った。
さて、本日の写真はこれ。
団子状にしてロクロにすえた粘土である。
ロクロを廻す際に最初にやる作業は土練り(菊練り)である。
しかし、この土練りという作業は意外としんどいものだ。
特に冬場の寒い時や体調が今ひとつの時はとてもつらい作業となる。
真空土練器という非常に便利なものもあるが、高価な上、音と振動がすごい。
一日数百キロの粘土を練るのなら必需品だが、
百キロ以内なら手で練った方が費用や効率の面で良い。
そんな訳で、私は手でひたすら練っている。
さて、この土練り作業。練りをすっ飛ばしてロクロを廻せないものだろうか。
そこで、登場するのが写真の団子状粘土である。
市販の粘土を手でむしって、手の平で丸くするだけ。
これでロクロの1個挽きができてしまう。
湯のみを10個作りたいのなら、団子を10個作ってビニールに入れて、
ロクロ脇に置いておけばいい。
1個挽いては、しっぴきで盤面から切り離し、別の粘土をすえて再度挽く。
これでOK。
つらい土練りから解放される。
備前の土を使う陶工は、この方法で挽いている人が多いはずだ。
この団子のメリットは、
土練りしなくていい。
成型後の底割れが出にくい。
土ころしが力要らずで簡単。
反対にデメリットは、
大量だと団子にするのが面倒。
たくさん作らなければならない時は、土練りして一気に挽いた方が早い。
などなど。
どちらも一長一短あるが、臨機応変に選択していけばよいだろう。
特に乾燥時の底割れしやすい土を使う時は、団子にした方がはるかに良い。
粘土を丸めることで土がしっかりとかみ合うので、乾燥割れを高い確率で防いでくれる。
私はロクロを廻し始めた当初は、ほとんど1個挽きしていた。
理由は土ころしが楽なのと、盤面からの手の位置が変わらないので、
早くロクロを覚えられると思ったからだ。
今となってはどちらでも良かった様な気がするが、
ロクロ作業というのは人によって得手、不得手がある。
不得手な人は1個挽きから始めても良いと思う。
土ころしに力が要らない分、楽なはずだ。
ただ、1個挽きは盤面と目の位置が近くなるので、
少し目を離して見た方が楽だ。
ちなみに私は、どちらかと言えば、盤面の回転に慣れるのが遅い方の部類だった。
ぐい呑みは何とか。茶碗も何とか。
どんぶり位からきつくなり、背の高い湯のみやカップは
1個挽くたびに休憩をとりながら作業していた。
幸い、蹴りロクロや棒回しロクロに出会ってから、何とか自在に挽けるようになってきたが、
不思議なもので、こういった昔のロクロが挽けるようになると、
意外と電動も簡単にできるようになるものである。
そんな訳で、電動ロクロの苦手な方。
そんな方には昔ながらの棒回しロクロをお勧めします。
蹴りロクロは電動ができないと難しいけど、棒回しならなんとかなるのではないかと。
棒を突っ込んでちょいと廻し、一息ついて、また廻す。
電動のように急がず、自分のペースでゆっくりと。
大量に作るのなら、じれったい作業だけれど、
一日10個位なら棒回しで充分充分。
ただね、こいつは周りが汚れるんですよ。
土カバーが無いので。
きれいな床だと掃除が大変~。
ぽろろん。
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2009年6月26日(金)
モロコシからの連想。
前略 行雲より。
本日の熊谷は暑い。しかも熊谷特有の蒸した暑さだ。
こんな日にはキンキンに冷えたビールである。
冷えたカップに缶ビールをそそいで、泡をたっぷりと立たせる。
風呂上りなんぞにグビっと飲むビールはまさに最高。
つまみは取れたてのキュウリに味噌があれば、それでいい。
おっと、お気に入りの器も見てるだけでつまみになりますぞ。
さて、今回の写真はこれだ。
トウモロコシの雄穂である。
先日、即席畑の周辺の雑草刈りをしていたところ、
何やら煙らしきものが一瞬視界に入った。
あれっ、目の錯覚かなと思っていたところ、またもやモヤっと。
あたりを見回しても煙らしきものは何もない。
誰かがタバコを吹かしているような雰囲気の煙っぽさである。
おかしいな~と、このトウモロコシに触れた瞬間、
写真の雄穂から煙らしきものがモヤっと出てきた。
そう。雄穂から出る花粉だったのである。
花粉と言うと、花びらの中にあるものだけを想像していたのだが、
こんな棒のようなものに大量に付いているんですね。
なるほど、これならちょっとした風でも花粉を飛ばすことができる。
植物ってのはすごいものだと感心してしまった。
早速、野菜本をめくってトウモロコシの項目を見てみる。
雄穂から飛んだ花粉が枝の下にある雌穂にかかると、
雌穂の白いヒゲが茶色っぽく変化するとある。
受粉したかどうかが目で見てわかるとはこれも面白い。
今のところまだ茶色に変化していないが、これだけの花粉が飛べば時間の問題でしょう。
さて、このトウモロコシの周りには、きゅうりやらナスなどが植わっているのだが、
ひとつ疑問が沸いてきた。
この花粉がナスの花に付いたら受粉になるのだろうか。
品種がまったく違うので、まさかナスモロコシとか
キュウリモロコシなんかできるわけないようなぁと、思っているが・・・。
よくバラの花の品種改良で、白と赤のバラだとか複雑な色合いのものを見るが、
素人考えだと赤いバラに白いバラの花粉をくっ付けまくっている印象を受けるのだが。
どうなのだろう。
同じ系統の花だと受粉して、違う花では受粉しないとか・・・。
実際はそんなに簡単なものではないのだろう。
こういったものも陶芸と同じく、失敗と成功を繰り返しながら新しい美を作っていくのだと思う。
さて、この野菜作り。
まさに初めてづくしなので手さぐりの状態だが、
この「ぐうたら農法」が今後の収量にどう影響するのかが楽しみだ。
私の予想だが、1,2年目は失敗の連続、
3年目あたりからぼちぼちそれなりのものが収穫できれば良いと思っている。
簡単にはできないよと。陶芸と同じく試練を与えて欲しいと。
何でもそうだが、簡単に成功できるものは「飽き」も早い。
成功しそうで、失敗する。
はたまた、失敗するかと思いきや、そんなことも無い。
成功6の失敗4。いわゆる「6勝4敗。」
このくらいの感覚が意外と「面辛くて」長く続くものだ。
さて話はトウモロコシに戻るが、トウモロコシって本体の割りには食べるところが少ない。
特に食べ終わった後の芯。
これを何かに使えないか、いつも考えてしまう。
芯はある程度の強度もあるので、小刀で削れば何かできそうな気がするのだが。
単純なところでは笛なんぞいかがだろう。
周りの食べカスを削って、芯のセンターに穴を開け、何箇所か指で押さえる穴も開ける。
音階は取れていないが、子供向けの即席おもちゃには最適である。
以前、テレビでニンジンやら大根やらを笛にしている人がいたが、
食べ物を道具にするのは今ひとつな人も、食べ終わって捨てるだけの芯なら抵抗ないだろう。
こういう鳴り物を陶芸で作るとなると、代表選手が「オカリナ」だろう。
陶製のオカリナは買うと高いので、手作りしてみるのも面白い。
外形は手びねりで充分。
問題は音階を取るときの穴の位置だ。
これは何度も試作を重ねて最適な位置を発見するしかないだろう。
音を出すだけだったら何てことないが、オカリナに限らず、
楽器の手作りで一番難しいのは音階の取り方のような気がする。
まして、やきものは最後に「焼き」が入るので、成型時には音階が取れていても、
焼いてみたら「・・・。」なんてことにもなりかねない。
「ドレミファソラシド」が「レレミファシドラ」なんてことも有り得る。
まぁ、それはそれで楽しい楽器の出来上がりなのだが。
ぽろろん。
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2009年6月12日(金)
これも田んぼか・・・。
前略 行雲より。
巷では村上春樹氏の小説「1Q84」が大ヒットらしい。
昨今の出版不況の中、今日現在100万部を突破したとのこと。
すごいことである。
エルサレム賞を受賞した時に
マスコミの前で堂々と自分の意見を言ったところなんざ、まさに文士。
売り切れが多くて、なかなか手に入らないらしいが、
先日近所の本屋で大量に平積みされていた。
今行っても、もうないだろう。
あの時にゲットしておけばよかったかと後悔している今日この頃である。
さて、今回の写真はこれ。
古代米セットの用紙である。
前回のしいたけ、その前の即席畑とくれば、次は穀物の王様「米作り」でしょう。
野菜畑は市民農園など貸し出している所は多いが、
お米を作る田んぼというのは、貸借の話をあまり聞かない。
お米と野菜栽培の手間ひまはどちらが大変なのだろうか。
素人考えからするとお米の方が大変な気がするが、
実は野菜の方が手間がかかるらしい。
お米は日本人の主食。
そのため機械化がすすんでおり、ある本によると年間の作業日数は、
ほんの1週間~10日程度だという。
確かに田植えや稲刈りのシーズンは忙しそうだが、
普段の田んぼで人が作業している姿は、あまり見たことが無い。
水の管理をしっかりやって、きちんとした土作りの田んぼなら立派なお米が育つのだろう。
そんな事情もあいまって、
農家の方たちも一般の人に田んぼを貸すということはあまりしない。
機械を使って自分たちで作業した方が、手早くできるからだろう。
一方、野菜作りは病害虫や雑草対策に手間がかかる。
また、機械を使うよりも手作業の仕事が多い。
そのため、いわゆる兼業農家の方たちは米作り中心の農業で、
野菜は自給分しか作らない場合が多いとのこと。
平日はサラリーマンで、土日を利用して米を作っている家庭が多いようだ。
そんな具合で田んぼの空きはほとんど見つからない。
見つからないほど、作りたくなるのが人情である。
そこで、いろいろ調べていたら「バケツ稲」と呼ばれる育て方があるらしい。
もともとは子供達に稲の成長過程を学んでもらうシステムらしいが、
ここは実験大好きの私のこと。
一丁やってみましょうと、早速写真のバケツ稲セットを手に入れた。
残念なことに白米セットはすでに完売で、
古代米セットになってしまったが、まあいいでしょう。
お米作りには変わらないし、白米は苗をもらってきて直接バケツに植えてもいい。
さて、この古代米。
黒米とか赤米とかいろいろあるらしいが、今回は黒米が同封されている。
黒米とはもち米の仲間らしく、玄米の表皮が濃い紫色で、
あまりにも黒っぽいので黒米と呼ばれているらしい。
早速開封して説明書の通り、種もみを水に漬けておく。
すると、5日目に写真のように小さな芽が出てきた。
なんとも感動である。
種を水に漬けておくだけで発芽させるなんぞ、生まれて初めての体験ではないだろうか。
やきもの作りもそうだが、
本で読む知識より実際に行動に移した方が格段にわかりやすい。
とにかく、やってみて、失敗して、そこから何かを学んでいく。
陶芸と相通じるものがありますなぁ。
この発芽した種をバケツに移して、鳥に食べられないように、
苗になるまでザルなどをかぶせるとのこと。
以前に畑に種を蒔いて、鳥たちにほとんど食べられてしまった苦い経験があるので、
今度は鳥対策はバッチリさせてもらいます。
さて、古代米と平行して白米もバケツで育てて、両者の成長過程を比較したい。
苗をどこかで手に入れられないかな~と思いながら日々生活していると、見つかるもんです。
田んぼの脇に農家のおじさん。
しかも田植えが終わって、余った苗も端っこに大量にあるではないか。
ちょっと近寄って話しかけてみる。
「すいませ~ん。ちょっと家で使いたいんですけど、苗を数本いただけませんか?」
おじさん、最初はびっくりしていたが、すぐに笑顔で、
「いいよ。いいよ。どんどん持っていきなよ。どうせ余ってるんだから。」
おまけに、「この苗は古いから家から新しいの、持ってきてやろうか~。」
とまで言ってくれる。
「いえいえ、これで結構です、充分です。」と早速、田んぼに入って
苗を一掴みもらってしまった。
帰宅後、庭に転がっていた備前緋だすきの大茶碗に取りあえず入れてみた。
やはり、焼締め陶と植物は相性がぴったり。
庭の土をスコップでバケツに入れて、少量の肥料を足した後、早速苗を植えてみた。
やきもの屋ならバケツも陶器でいきたかったが、ちょうどよい大きさのものが無い。
朝鮮唐津の水指で代用しようかと思ったが、
水の量が10リットルは必要とのことで断念。
新しく作っている時間もないので、取りあえずプラスチックのバケツで我慢した。
今回は見てくれよりも中身重視でいきましょう。
これで白米と古代米、2つのバケツ稲が完成した。
白米の方はすでに苗の状態なので、成長は一歩リードしているが、
2種類の観察には充分である。
小学生の理科の夏休み課題のような心境だ。
今後、どう展開していくのか楽しみである。
秋の収穫後には、古代米の稲わらで巻いた
備前の緋だすきなんぞも焼いてみましょう。
白米の稲わらとどう違うのか。
また新しい実験テーマが見つかりました。
久々の・・・「ん~ん、実に面白い。」
ぽろろん。