2022/11/29 17:25

2010年8月28日(土)

どうくっつけるかが大事。

 

前略 行雲より。

本日の熊谷も暑い。朝晩は時折涼しい風も吹くことがあるが、相変わらずの暑さである。

ここまで暑いのに今年はまだ「暑いぞ気温 全国1位」にはなっていないようだ。

暑さで1位をとってもどうなんでしょうという感はあるが、

熊谷の知名度を上げるにはいいのだろう。

 

さて、今回の写真はこれだ。

ハンス・コパーと言う西洋陶芸家の作品である。

 

昨日、NHKの番組を何気なく見ていたところ、「日曜美術館」と言う番組の

再放送をしていた。

番組のテーマがこの「ハンス・コパー」。

彼の作品を通じて、その内面を探っていこうという趣旨だ。

 

コパーはドイツで生まれイギリスに渡り、日本でも人気のあるルーシー・リーと出会い、

しばらくは彼女の工房で陶ボタンの製作の手伝いをしていたらしい。

その後、陶芸家として数々の作品を作っていく。

ちなみに来月の5日までパナソニック電工 汐留ミュージアムで「コパー展」を開いているようなので、

興味のある方は足を運んでほしい。

ルーシー・リーの作品も何点か展示してあるようである。

 

さて、陶屋の性分からしてこの写真のコパーの作品は

どのようにして作ったのかを考えてみよう。

 

成型はロクロでOK。

下半部をまずロクロでひき、上部を手でつぶしていく。

ここでロクロから切り離し、やや乾燥させた後に土台となる下側を削っていく。

写真を見てもわかるようにかなり細く削るのがコツだ。

 

一方、同時に上半部もロクロで成型しておく。

こちらはかなり細めに、しかも上に高く引き上げる。

 

やや乾燥後に先ほどの下半部と合体させる。

ちなみに、このロクロでひいたもの同士を合体させるのを「合接技法」と呼ぶ。

これで成型は完成だ。

 

釉掛け等の仕上げは、化粧を塗っているでしょう。

焼きはやや炭化焼成で仕上げていると感じた。

 

写真右は焼成後にひたすら薪などをくべて真っ黒に仕上げる。

ここまで黒く仕上げるには1200度オーバーは要らないかも知れない。

黒陶を作る感覚で、やや低めの温度帯で炭化を掛けた方がいい結果になる可能性もある。

何度かテストが必要だろう。

 

一方、左の作品は白化粧を塗って、やや弱めの炭化焼成で仕上げている雰囲気だ。

化粧を掛けた焼き締めか、釉薬を掛けてもほんとに薄く、

コンプレッサーなどで均一に吹き掛けていく方法がいいだろう。

 

ロクロで複数個の作品をひいて合体させる合接技法は、

一見して単純でない、それでいて味わいのある作品に仕上がるので、

芸術として陶芸作品を作りたい方にはお勧めの技法である。

 

いろいろな形を組み合わせていけば、あっと驚くような造形ができあるので、

創造力を高めるには最適だ。

 

ロクロ挽きに変化を求めたい方はぜひ。

 

ぽろろん。

 

 

 

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2010年7月21日(水)

マイコンとはこれいかに。 

 

前略 行雲より。

 

7月も中盤を過ぎ、梅雨明けの熊谷は暑さ真っ盛りだ。

エッセイを書こうと思ったが、あまりの暑さに頭が回らない。

思わず午前中からエアコンのスイッチを入れてしまった。

なるべく自然に近い環境で過ごそうと、午前中はうちわと扇風機で過ごしたい毎日だが、

キーボード職人と化すには致し方ない。

今回は自分に甘くしよう。

 

 

 さて、今回の写真はこれだ。

大人の科学マガジン24号である。

付録は4ビットマイコン。

各家庭に1台はあるだろうと思われるパソコン。

そのパソコンの基礎となるのがこのマイコンだ。

 

パソコンがなぜ動くのか、不思議に思ったことはないだろうか。

いやそんな事考えたことも無いという人もいるだろうが、

「科学はなぜから始まる」と言うではないか。

疑問を見つけて、仮説をたてて、それを実証していく。

失敗も当然あるだろう。しかし、その失敗は成功への手引きとなる。

なぜ失敗したのかを考え、次に同じ失敗をしないように手順を変える。

この地道な作業を一歩づつこなしていけば、最終的に成功するはずだ。

 

そう考えると陶芸と科学は似ているのかも知れない。

土を捏ねて成型し素焼きする。釉薬を掛けて本焼きする。

土と釉薬の選択、プラス「焼き」の工程が入ることで、予期しない失敗・成功の道に分かれる。

 

作陶者はいい作品を作るために、土と釉薬、焼成雰囲気を決定する。

これらはある意味「仮説」。

そして頭の中にある完成イメージ通りになれば、「実証」成功となる。

 

まさに科学ですね~。

 

さてここでひとつ。

作品の焼成前に完成形がイメージできるようになると、中級者への仲間入りと思っていい。

ある程度の数をこなしていくと、土と釉薬が決まればおおよその姿はイメージできる。

パターンがわかってくると多少の慣れも出てくるので、土を変えて新しい発見をしたくなる。

そうなると陶芸は果然楽しいものになる。

絵付けは別にして、やきものの質感は釉薬で変化させるのではなく、元になる土を変化させる。

そこに気づくが気づかないかが、今度は上級者への岐路となるはずだ。

 

さて、話は全くそれてしまったが、マイコンに戻そう。

パソコンの基礎となるのがこのマイコンだが、

パソコンソフトというものはどうやって動いているのだろうか。

実は全てのソフトの基本は、「1」か「0」なのだ。

 

電気信号でプログラムを作っていくには・・・。

先人達は考えた。

電気を流せば「1」。

電気を流さなければ「0」。

 

人がよく使う10進数ではなく、2進数で計算させ、

プログラミングでは人にもわかりやすいように16進数を使う。

数字嫌いな人にはちょっととっつきづらい感があるが、考え方はシンプルにできている。

 

プログラムのソースを読めば、人間が次にどう動くのかを考え、

その動きを予測して書かれている。

いわゆる「想定内」という言葉がかつて流行ったが、

この「想定内」が非常に大事になるのだ。

 

ここから先の詳しくはその手の専門書に譲るが、いやーホントに考えましたね~。

 

シンプルなだけに奥の深いマイコン&プログラミング。

パソコン好きにはたまらない逸品となりそうです。

 

ぽろろん。

 

 

 

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2010年6月13日(日)

この時代に感謝。

 

前略 行雲より。

 

ここ最近の熊谷は絶好の洗濯日和。

空気も乾燥してカラッとしているので、非常に過ごしやすい。

来週から梅雨に入るそうだが、1年の半分位はこんな天気を希望したい。

でもそれだと野菜が育たないか~。

梅雨はうっとうしいけれど野菜育成には最適な季節。

恵みの雨を菜園の幼苗達は待っているのです。

 

さて、今回の写真はこれだ。

文庫本「私は魔境に生きた」である。

 

第二次大戦中、ニューギニアの戦地に派遣された著者達が、

戦況の悪化にともなって山奥で篭城を決意し、

10年以上にも渡って現地で生き延びた実話である。

 

こういったサバイバルの状況の中で、人は何を求め、

何を考えて生きていくのか知りたくて読んでみた。

 

結論から言うと「生への固執」である。

 

敵軍の捕虜となって恥をさらすのなら自決してでもという考えも

あったようだが、とにかく生きて祖国の土を踏むことだけを考え、

そのためにはどうすればよいか、人間としての本能の生き様が読み取れる。

 

食べるために物資補給所に侵入し、底をついたら野草を食べ、

最終的には自分たちの力で農園を築いていく。

火をおこし、簡素な家を建て、食べ物を作り、狩猟する日々。

医薬品が無い中、マラリアで死んでいく友を、ただひたすら見つめるしかない現実。

 

その全てが、もう一度生きて祖国に帰りたいという、

たった一筋の希望があったからなんだとわかる。

 

2010年、物資にあふれ食べ物も余り、

戦争もなく平和に暮らせる日本。

 

この時代に、この国に生まれていることが、どれだけ恵まれているのかを

痛切に感じることができる。

戦争が無く、一日3回の食事が取れ、

そこそこ健康でいられることが、どれだけ幸せなことか。

 

世界に目を向ければ、今日飲む水さえも困り果て、

飢えと病気でいつ亡くなってもおかしくない人達もたくさんいる。

敗戦当時の日本も同じようなものだったかもしれない。

 

しかし、そういった困難に立ち向かい、

教育と経済の発展に全力を注いでいった多くの名も無き先人達が、

今の日本を作ったのである。感謝しなければならない。

 

さて、ここまでは総評だが、ここから先は具体的にサバイバルには何が必要なのかを

この本から紹介してみよう。

サバイバルなんて今の日本には関係ないと思う方もいるだろう。

しかし、有事がおきたり、大災害が絶対に無いとは言えない。

そうなってからでは遅いので、知識として準備だけでもしておこう。

 

まず第一は水と食料の確保。

この書の舞台であるニューギニアは南国の地なので、比較的雨は多く降ったようだ。

水は雨水を貯めておいて、沸かして飲む。

生水が危ないのは古今東西変わらない。

また、もちろん風呂などは無いので、

スコールが降った時に裸になって一気に体を洗っていた。

 

食料に関しては、当初は補給基地に侵入して確保したようだ。

乾パンや粉醤油、コンペイ糖などが主たるもので、

あとは地元に生えているパパイヤなどを食べていたとの事。

しかし、やがて補給基地の物資が少なくなると現地のジャングル草や

きのこ、蛙、ヘビなどなんでも食べたようだ。

やかて、彼らは荒れたジャングルを開墾して、農園を作り食料を自給するようになる。

 

この農園開墾と一言で言うが、重機も無い、満足な道具も無い山奥で、

荒地を開墾するのは相当な気力と体力を要するだろう。

当時20代の兵士がほとんどなので、もともとの体力はあるだろうが、

食うに食えない毎日である。

何人かは農園完成前にマラリヤなどで亡くなっている。

 

次に必要なのは火の確保だ。

焚き火の火をなるべく絶やさないようにし、昼間は炭状のものを「置き火」と称して

絶やさないようにキープしていたようだ。

しかし、実際の木から火をつけようとチャレンジするのは人間の本能なのだろう。

テレビなどでもよくやっているが、乾燥した木にドリル状の木を切りもみさせ、

火をつけようとしたようだ。

ところがこの方法は、全員で代わる代わるやっても、

手の皮がむけるなど散々な目にあったらしい。

この乾燥木ドリル技法は現実的には不可能のようだ。

 

では彼らはどうしたか。

太陽を利用したのだ。

そう、男子は小さい頃に虫メガネを使って火を付けたことがあるだろう。

紙に塗った黒点にレンズを通した太陽光を当てて燃やす方法。

あれをやったのだ。

レンズは捨ててあったメガネのフレームをはずし、2枚重ねて樹脂で固め、

その間に水を入れて分厚いレンズを作る。

結果として大成功。南国の太陽光のパワーも手伝ったのだろう。

成功当初はいろいろなものを燃やして喜んだようだ。

とは言え、曇りや雨の日は使えないので、「置き火」も大切に保管したようだ。

この部分を本で読んだ後、虫メガネを買いにいったのは私だけではないだろう。

 

主食を農園でまかなえるようになれば、お次は肉類をどうするかだ。

彼らは主に現地の火喰鳥と呼ばれる巨大な鳥を銃で狩猟しながら、

落とし穴を作ってイノシシを捕まえたり、川で魚を釣ったりしながら、

たんぱく質を確保したらしい。

 

また、食料と切っても切れない関係にあるのが「塩」である。

現代の食生活では過剰摂取うんぬん、高血圧などでは目の敵にされているが、

この塩がジャングルには無いのだ。

海が近ければ海水を沸かす方法があるが、なにせ山奥である。

粉醤油に含まれる塩分を大事に大事に使っていたようだ。

ちなみに塩は食欲にも影響するようで、塩がない料理はほとんど水煮。

味がしないのでのども通らず、結果として栄養不足になり

マラリヤなどにもかかりやすくなる。

塩の大事さは本当に痛感させられたようだ。

 

こうして食料がある程度自給できるようになると、怖いのは病気だけとなる。

医者も薬もないジャングルだ。傷ができたら、乾パンの布袋を切ったものを、

熱湯消毒して傷口にあてるだけ。

マラリヤなどにかかった場合はひたすら体をあたためて、

頭に水タオルを乗せるだけという、まさに過酷な状況だったらしい。

ちなみに、ほとんどの仲間はこのマラリヤで亡くなっている。

 

最後に生活物資の一つ、食器類はどうしたのか紹介しよう。

当初は木をくりぬいて使ったようだが、南国の木は年輪が密でないので、

水などが漏って使えないらしい。

そこで、石を削って食器を作ったようだ。

石を削るのは大変だったろう。

もし彼らの中にやきものを作れる者が一人でもいたなら・・・。

 

まず、その辺にある土を練って器にし、焚き火の周りで温めてから火中に投入。

その後じっくりと焼き上げ、素焼きと本焼の中間位のいわゆる「土器」を作る。

現代の高火度で焼かれた陶器ほどの強度は無いが、

雑に使わなければ十分に長持ちする。

 

また、焚き火ならある程度の大きさのものも焼けるので、

割れさえしなければ、食器どころか水カメや食料保存用の壷など、

いろいろな用途に役立ったはずだ。

 

こうして見ると、人が生きていくにはまず水と食料と火を確保。

道具としては簡単なナイフとのこぎりなどの大工道具。

これで雨風が防げる小屋を作れば、ある程度のサバイバルは乗り切れそうだ。

余裕があれば、医薬品に変わる薬草を自然の中から見つけて、煎じて飲んだり、

外用薬として使ったりということになるのだろう。

 

さて、まだまだ紹介したい事はあるが、今日はこの辺で。

 

あっ、そうそう。

この書を読んでから、もったいなくて残飯を捨てられなくなってしまった。

冷蔵庫に残りものが増えていく。

う~ん・・・。

 

ぽろろん。

 

 

 

 

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 2010年5月19日(水)

陶芸の技術。

 

前略 行雲より。

すっかり初夏の日差しが強くなり、我が菜園もトマト、きゅうり、ナスなどの

夏野菜の苗たちが青春を謳歌している。

これから梅雨の雨をたっぷり浴びて成長し、おいしさたっぷりの実を付けて、

盛夏には収穫の喜びを与えて欲しい。

 

 

さて、今回のテーマは「陶芸の技術」。

 

しばらく陶芸について書いていなかったので、

今回はこの「陶芸の技術」について一考察してみよう。

 

陶芸がうまくなるにはどうすればいいですかとよく聞かれる。

「陶芸=陶器の芸術」と考えるならば、まず自分の美意識を磨くことだ。

絵画、音楽、書など、いろいろな芸術に触れて感性を磨く。

これが一番手っ取り早い。

簡単に言えば「感動屋」さんになることだ。

 

例えば、道に落ちている枯葉。

見かけても何気なく通り過ぎてしまうものだが、枯葉の中にも美しい枯葉とそうでないものがある。

 

なぜ、それは美しいのか。

 

そこがわかればいいのだが、初心者の頃は美しい理由がわからない。

ただ、何となくでも「あれっ、いいじゃない。」と思い始めてきたら、それは感性が磨かれてきた証拠だ。

まずは、道端にある「自然の落し物」を注意深く観察する。

 

次に慣れてきたら、自然の美を見付け、それが何故美しいのかを考えてみる。

造形なのか、色合いなのか、質感なのか。

その美しいポイントがわかり、作品に写しとることができれば、立派な芸術が完成する。

 

 

一方、陶芸を完成された「用の美」ととらえるなら、まず成型の技術を磨く。

 

ロクロ、たたら、紐作り、くりぬき等の成型のテクニックを覚えて、ひたすら作品を作り続ける。

簡単に言えば、陶工の技術を学ぶことだ。

 

代表的なものにはロクロがある。

1日100個の湯のみを3年もひき続ければ、

基本のロクロ術は身に付くだろう。

 

趣味で陶芸をやっている方たちは、日に数百も湯のみをひくのは無理だが、

1回の練習に数点は必ず作るようにしよう。

作った湯のみは焼く必要はない。

指慣らしとしてつぶしてしまえばいいのだ。

 

但し注意点がひとつ。

成型した湯のみがいいものかどうかを師匠なり先輩なりにチェックしてもらう。

間違ったひき方で数をこなすと悪い癖がつく。

必ず、日に1点くらいは成型チェックをしてもらおう。

 

一番いいのは上記の両方、自分の感性も磨き、さらに陶工の技術も身につけるのがいい。

 

ひたすらロクロやたたらで作品を作り、空いた時間には自然に触れて感性を磨く。

こんな生活を毎日やれば、個人差はあっても、3~5年でそこそこの腕にはなるでしょう。

 

よくゴルフでアドレス(構え)を見れば腕前がわかると言われているが、陶芸も然り。

 

ロクロで湯のみをひかせれば一発でその人の腕前がわかる。

そんなもんです。

 

ロクロに限って言えば、湯のみに始まって、湯のみに終わる。

 

それができるようになったら、次のステップへ。

 

成型の次にくるもの。

それは・・・。

 

 

そこから先は、またの機会に。

 

 

ぽろろん。

 

 

 

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2010年4月17日(土)

ミュージシャン誕生ってか!?

 

 

前略 行雲より。

昨日、村上春樹氏の小説「1Q84」の第三巻が発売された。

なんと1,2巻の合計発行部数は240万部とのこと。

今回第三巻も初版50万部+20万部を刷ったようだ。

全部合算しておよそ300万部以上。

いや~すごい数字ですね。

小説はほとんど読まないが、何となく気になる本の一つだ・・・。

 

 

さて、今回の写真はこれだ。

「大人の科学マガジン」と付録のエレキギターセットである。

エレキギターなんぞ今さら何でと言われそうだが、

電気で音がなる仕組みが知りたくて思わず手に入れてしまった。

 

弦を張って、なんや訳のわからん基盤を取り付けて完成させていくのだが、

この基盤にはすでに電子部品がハンダ付けされている。

肝心のメイン部品が完成されているので、自分で作った感は全く無いが、取り合えず良しとしよう。

 

基盤のハンダ付けも自分でやるとなると、電気が通らなくなる恐れがある。

プロのハンダ職人さんにしっかりと付けてもらって、

その分、各部品の合体作業に精を出すことにしよう。

 

さて、これはエレキギターで電気の力を借りて音を奏でるのだが、

通常のアコーステックギターなるものもある。

フォークソングなどで良く弾かれるあれだ。

 

世の殿方ならわかると思うが、中学生~高校生くらいの思春期の頃、

男子はこのギターと呼ばれる楽器にめっちゃ憧れる時期がある。

 

ご多分にもれず、私も学生時代に当時流行った白いギターを手に入れて、

サザンの「いとしのエリー」なんぞをよく弾いたものだ。

 

ギターは楽器の中では比較的弾きやすい道具だと思う。

ある程度のコードさえ覚えてしまえば、右手は単純に上下運動のストロークで音がでる。

伴奏はギターに任せて、口でメロディーを口ずさめば立派なシンガーの誕生である。

聞く人の年代に合わせ、チューリップの「青春の影」、

DEENの「このまま君だけを奪い去りたい」、

サザンの「TSUNAMI 」なんぞをしんみりと歌えば、拍手喝采。

芸術の中ではダントツで人々に感動を与えられる。

 

絵画や陶芸などは作品作りに若干時間がかかるが、

こと音楽だけは、その場に楽器が一つでもあれば、聞く人が涙することもある。

日頃の練習が大事だが、自己表現の手段としては最高の分野だろう。

 

 

さて、そんな音楽好きギター小僧の最初の難関。

それはFコードを押さえられるがどうかだ。

Fコードというのはこれ。

第一フレットを人さし指で全て押さえるという技だ。

ちなみに傍らにあったホコリだらけのギターで、

しかも鏡に映して撮影したので左右が逆に写っているが、ご容赦願いたい。

 

ギターを覚えた頃、AmやEmなどいろいろ押さえられるようになると

楽しくてしょうがないのだが、このFコードが押さえられずに辞めてしまう人も多い。

指に力が入らなかったり、押さえても音が濁ったりでうまくいかないのだ。

 

陶芸でいうところの焼成3~4回目位といったところだろうか。

格段の進歩が停滞した頃に、ちょっとつまづいて歩みが止まってしまう。

ここを乗り切れるかどうかが初心者脱出のパスポートになる。

 

さて、このFコードを攻略するとそこそこの曲は演奏できる。

本屋さんで歌詞とコード表が載っている「みんなの歌」みたいなものを買ってくれば、

大抵の曲は掲載されている。

あとは練習あるのみ。指にタコができるまで弾きまくろう。

 

陶芸をやっているからといって、いわゆる陶芸バカになってはいけない。

音楽、絵画、映画、写真など、芸術と言われるものはどんどん吸収していこう。

21世紀に生きている今日、同時代に創作された数ある作品を見て、読んで、

感じていけば、それは絶対作品作りに生きてくる。

 

 

ところで、上記のエレキギターだが、まだ製作途中で音を出していない。

完成のあかつきには自作の曲をアップして、

密かにメジャーデビューを飾ってやろうと計画している今日この頃である(笑)。

 

 

ぽろろん。