2022/11/29 17:43

2013年5月25日(土)

『経済学を学ぶ』

 

前略 行雲より。

今日の熊谷は曇りのち晴れ。

初夏の陽気で、窓を閉め切ってると暑いくらいだ。

 

こんな日は洗濯に限る。もう着ないであろう冬物はもちろん、

風呂場の足拭きマットまで別に洗ってしまった。

 

ちょっと遅い時間に干しても、この暑さなら乾くでしょう。

おっと、取り込む時は花粉をよーく払ってからだ。

最近めっきり花粉は少なくなってきたが、油断すると鼻がズルズル。

薬を飲むと眠くなるので、なるべく花粉を浴びないのが一番だ。

梅雨の到来まで花粉対策は気が抜けないのだ。

 

 

さて、今回のテーマは「経済学を学ぶ」だ。

 

最近、漫画家の弘兼憲史さんの経済本を読んでみた。

 

経済学なんて何を今更という気もするが、

彼の代表作である「課長 島耕作」がなかなか面白かったので、

表紙の弘兼さんの挿絵にひかれて読んでみた。

 

学生の頃は法律を学んでいたので、経済学には全く興味なし。

一応、マルクス、ケインズ、アダム・スミスなんかの本は図書館で見たものの、

最初の数ページを眺めてから黙って本棚に戻した記憶があるくらいだ。

 

で、経済を学んでいく先に、ある懐かしい言葉が出てくる。

「株式会社」だ。

 

法律を学んでいくと憲法、刑法、民法などメジャーな科目はもちろん、

商法という結構有名な科目も勉強することになる。

その商法の中に会社法というジャンルがある。

これは、株式会社や合名、合資会社などを細かく規定する法律である。

(ちなみに有限会社(当時)は別法。今は「新会社法」となった。)

この分野はそこそこ勉強していたので、懐かしさのあまり真剣に読み進める。

ああこんなことやったよなー、なんぞ思いながら見ていると、

経済にからんだもうひとつの言葉が出てきた。

「株式市場」だ。

 

皆さんもニュースなんかで聞いたことがあるだろう。

世に星の数ほどある株式会社の中で、

業績優秀、将来性に期待された数千社の企業が公開している証券市場のことだ。

 

ある1人の男がすばらしい製品を開発した。これは世の中に広めなければならない。

使命感に燃えたその人は会社を起業することにした。

しかし資金がない。そこで、その男は自分の周りに出資してくれる人を探し、

その人に会社の株券を発行した。

会社が利益を出せば、株券の数に応じて配当金を出す。

出資する人は銀行に預金するよりも利益がでるので、

株券を取得する方がいいよなと考える。

ここで双方の利益が合致。株式会社の誕生となる。

 

いやー、すごい方法を考えましたね。

ちなみに、海外で発達したその考えを日本に導入したのが、

深谷市出身の渋沢栄一氏。

日本の資本主義の祖と呼ばれているそうです。

隣街からすんごい人が出てるんですね。

 

さて、そんな株式会社。事業を拡大したいのだが、出資者がなかなか現れない。

最初の資本金は自分で出しているので、もう資金がない。

さて、どうしましょうとなる。

そこで、できるだけ多くの人に出資してもらおう。

そうだ市場に自社の株を公開しよう。

そう考えた会社のトップは公開基準をクリアさせながら、

やっとの思いで株式公開を実現させる。

 

念願の上場企業となるわけですね。

上場すると世界中の投資家が会社の株を買ってくれるので、

多額の事業資金が会社に入ってくる。

一気に事業を拡大できる図式ができあがり、めでたしめでたしとなる。

 

もちろん公開すると株主が一気に増えるし、

業績不振なら株主総会で非難されたりの気苦労は増える。

しかし、上場すれば会社の株は何倍、何十倍もの価値になるので、

株の大半を保有している創業者の利益はすんごいことになる。

まあ、その辺の話は下世話になるので、興味のある人は調べてください。

 

さて、そんな上場会社の株が公開されているのが株式市場だ。

東京や大阪などの大都市にある証券取引所とよばれる所。

よくニュースでやる東京証券取引所は、略して「東証」なんて呼ばれてますね。

東証はその中でもいろんな市場があり、

一部、二部、マザーズなんて呼ばれてます。

 

この株式市場の論理ってやつも調べてみると面白い。

買いたい人が多ければ値が上がり、売りたい人が多ければ値が下がるという、

至極単純な理屈で動いている。

で、この値の上がる株を探し出すのが投資家の腕の見せ所。

昨年からのアベノミクスの影響で、今の市場は上昇相場。

相当な人が利益を出しているし、今現在も上昇し続けている。

 

株はギャンブルだと言う人もいると思うが、

もうギャンブルの域を遥かに超越しているんですね。

世界中の経済学者や識者の方が、研究し尽くしている。

 

こっちの指標なら上がるけど、こっちのを採用したらどうなるかなと。

その時の相場の雰囲気や政治情勢なんかも影響してくる。

 

ん~ん、経済って奥が深いですね。

馬、自転車、船と比べちゃあきまへんな。

 

(馬→競馬。その他はご想像通り)

 

 

 

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2013年4月27日(土)

『銀色のニクイやつ』

 

前略 行雲より。

本日の熊谷は風のやや強い晴天日。

春先によくある、寒いんだかあったかいんだか、はっきりせいといった日だ。

世間ではゴールデンウイークに突入したようだが、当方には全く無縁。

ただ、それなりの休みがあるので、いつもより読書できるのがうれしい。

読まずに積まれた本の束を、まずは何とかしようかと。

 

さて、今回の写真はこれだ。

鏡に写されたガスバーナーである。

 

陶芸の窯はいろんな種類があり、ガス、灯油、電気、薪窯などが使われている。

 

私が使っているのはガス窯なのだが、

この手の窯は完全倒炎式って方法を利用している。

完全~てのは、熱源を窯の下に設置して炎を上にもっていき、

排気穴は窯の真ん中の下に配置する。

すると上に向かった炎が天井でぶつかり、排気穴のある下に向かって下がっていくので、

窯の中にまんべんなく炎が行き渡るというものだ。

 

一方、登り窯に代表される薪窯系は、半倒炎式と呼ばれる燃焼システム。

窯の手前下側に熱源である薪を焚いて、

天井に炎が達し、次の部屋の下側に排気穴を開ける。

構造上、棚に組んだ作品の真ん中下側の温度が上がりきらない場合がある。

丘の斜面に登り窯が設置される理由もおわかりだと思う。

下で火を焚けば、自然と上に炎が上がっていくのを利用したものだ。

 

また、直炎式って方法もある。

これは下で火を付けてそのまま真上に逃がす方法。

七輪なんかがいい例だ。下に炭火を置いて、上に作品を置き、

作品の周りを囲ってしまえば直炎式の窯の完成だ。

1品、2品程度の少量の作品を焼くにはいい方法なのだが、

熱がまっすぐ上に逃げてしまうので、窯内の温度が上がりづらい傾向になる。

直炎式で1200度超えまで温度を上げるのは結構な手間がかかるので、

中規模以上の窯ではほとんど採用していない。ごく小さい窯専用の燃焼システムだ。

 

また、楽焼窯なんかは、作品をサヤに入れ、

周りに炭を置いて、フイゴ等で風を送って焼成する。

温度も上がりづらいので、楽焼きの焼成温度はおおむね1100度位。

楽焼き用の釉薬もその辺の温度で溶けるように調整されている。

 

いろんな種類の窯があるんですね。

 

さて、当方の窯はガス窯で、当然熱源は下側にある。

てことは、着火の際に身体を折り曲げて火を着けなければならない。

腰を痛めた私としては一番の難題がこの着火方法だった。

 

おまけにバーナーをのぞき込んで火を着けるってのは案外と気持ちのいいものではない。

やはり火はなるべく顔から離した状態で着けたいものだ。

しかし、窯の構造上、頭の位置を地面近くまで下げて、

バーナーをのぞき込んで着火しなければならない。

極寒の早朝から窯焚きだと、この作業を朝一でやる。

寒さでこわばった身体には結構な負担がかかる。

着火だけでも誰かに頼みたいくらいだと、以前から真剣に考えていた。

でも陶磁器産地ならいざ知らず、

この埼玉県内でガス窯に火を着けれるやつが果たして何人いるだろうか。

 

そこへきての腰痛。だいぶ痛みはひいてきたが、

それでも身体をかがめるのは腰に負担がかかる。

どうにかして、かがまないで火を着ける方法を見つけないといかんと思っていた。

 

よくテレビなんかで、スーパードクターが画面に映された映像を見ながら

手術しているシーンを見る。

これを見習って、webカメラでバーナーを映して、

ノートパソコンに映像を飛ばして着火しようかとも考えた。

大学の陶芸科の授業ならそれも面白いかなと思ったのだが、

もっと簡単な方法も模索してみる。

人間考えると知恵が出てくるもので、ある方法を思いついた。それが冒頭の鏡を使う方法だ。

 

脚付きの鏡を地面に置いて固定する。すると両手が自由に使える上、

背筋を伸ばしたまま着火できるのではないかと予想した。

 

早速、百円均一で鏡を購入。

ガスバーナーの見える位置で鏡を固定する。

火種棒に火を着けてバーナー近辺に持っていく。

 

手を動かす方向と鏡に映る火種の方向が逆なので、多少は慣れが必要だ。

何度か練習しながら、いつもの位置に火種棒を設置できた。こうなればこっちのもの。

あとはバーナーのコックを開けば着火できる。

ええいっと、コックを開けてみる。

ボッという音と同時に、きれいに着火された。

思わずガッツポーズだ。

 

練習を兼ねて、もう2,3本のバーナーに着火してみる。

全部成功。

火を止めて、またまたガッツポーズ。

 

身体をかがめないで着火するという長年の夢が一気に解決してしまった。

おまけにこの方法で着火するとバーナーの着火部を鏡を通して間接的に見ているので、

火が着く瞬間のビビリ感がない。

例えて言うなら、パソコン画面を見て操作している感じ。

冷静に着火できるのだ。一石二鳥である。

 

ただ、この方法は窯焚き初心者は止めた方がいい。

やはり目視でしっかりと火を着けるのが基本中の基本だ。

身体が着火に慣れれば、鏡を見ようが、映像を見ようが、手は自然に動く。

基本ができた人の応用バージョンとして、お勧めである。

 

 

 

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2013年3月30日(土)

『ものもらいの野望』

 

前略 行雲より。

本日の熊谷は曇り時々雨といったところ。

花粉の飛散が少なくて私には好都合だ。

 

今日、工房に来る前、田んぼのあぜ道に菜の花が咲いていた。

殺風景な道路沿いだが、

数輪ごとに咲く菜の花の色彩が、鮮やかな景色を醸し出していた。

しばし、車を停めて鑑賞する。

慌しく動いている社会の中で、そこだけ時間が止まっているようだ。

長い冬は終った。そして、春がやって来た。

 

 

さて、今回のテーマはこれだ。

「ものもらいの野望」。

 

2、3日前から左目に、ものもらいができている。

最近はものもらいが結構できる。

花粉症で知らずしらずのうちに目をかいているのだろう。

これで今年に入って2回目のものもらいだ。

 

今、腰痛をわずらっているのだが、

風呂に入る時にどうしても左手を湯舟の底について沈まないといけない。

当然湯舟の底に多少のバイキンもいるだろうから、

その流れで左手に若干のバイキンもつくだろう。

 

で、風呂の気持ちよさに無意識に顔を洗っている自分に気がついた。

しかも目の周辺を丹念にマッサージしている。

ありゃ、これじゃ目にバイキン入るよなと、最近になって知った。

 

まあ、かかってしまったものは仕方がない。

早速退治せねばと、薬箱の中をさがして目薬を見つける。

どんピシャリの抗菌ものもらい用だ。

箱を開封し、袋から目薬本体を取り出す。

最近の目薬は1個づつの使い捨てのようだ。衛生的で結構。

 

そのまま上を向いて目薬をさそうと思ったが、腰痛のため身体をそらすことができない。

なんだかなーと言いながら、床に寝転んでさすことにする。

テッシュを片手に1滴、2滴、3滴。薬を見るとまだ半分くらい残っている。

目のフチにそれぞれ数滴垂らし、7割方使い切る。これで捨てても悔いはないだろう。

 

そんな生活を朝晩続けて3、4日たったある日、どうにも患部がかゆくなってきた。

窓は閉まっているし、花粉の影響ではない。

むむっ。まさか。

数十年前に何気なく読んでいた医学百科に、

できもの系の細菌は自分では動くことができないので、

かゆかゆ成分を噴出し、宿主である人間に掻かせる。

で、人間の指について、他の場所に移動するとあった。

 

ついに来たか、ものもらい。

このままでは我が左目の中で命が尽きてしまうのだろう。最後の作戦に切り替えたな。

今度は俺の右目を狙っているのか。そうはさせん。

おもえの戦術なんぞ絶対に阻止してやると心に誓う。

 

かゆみをこらえて、必死にねばる。

しばらく我慢しているとかゆみが消えてきた。やれやれと他の作業を開始する。

 

その後しばらく作業していると

何気なく左手が左目のフチをかこうとしていることに気がついた。

いかん、いかん。もうちょっとでものもらいの戦術にのるところだった。

さすが、ものもらい。忘れたころに何度もかゆかゆ成分を出しているな。

 

負けてたまるかと必死に粘る。今度はさっきよりもかゆみが強い。

ええい、それならこうしてやると、

手を洗った後、患部にさわらないように数ミリ周辺を丁寧にかいてみる。

これなら細菌も指に付着しまい。打倒ものもらいだ。

 

しかしそんな対処もつかの間、数分後に三たびのかゆかゆ攻撃がきた。

やはり患部周辺かきかき法では通じないのか。

そんなことを考えながら辺りを見渡すと、目の前のティッシュの箱が視界にはいる。

そうか、この手があったかと、ティッシュを1枚取り出し、

折りたたんで、先っちょを爪の先端状にする。

 

これで患部をかいてそのままゴミ箱に捨ててやる。

フツフッフッとほくそ笑みながら患部を思いっきりかいてやった。

案の定、かゆかゆはすうっと治まった。

 

今、かいたテッシュの先端をしばらく眺めている。

 

ものもらい君。君は僕の右目をねらっていたのね。

はたまた僕以外の人間の目をねらっていたのね。

人はそんなにアホではない。少なくとも俺にはおまえの作戦は通用しない。

さらば、ものもらい君。いい闘いだったぞ。

 

そうつぶやき、ティッシュをゴミ箱へポンと投げる。

ものもらいを乗せたテッシュは、ひらひらと吸いこまれるように落ちていった。

 

ものもらいの野望、敗れたり。

 

 

……と、今回はコントバージョンで書いてみました。

 

 

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2013年3月23日(土)

『 作ったやきものどうする 』

 

前略 行雲より。

本日の熊谷は快晴。風もなく、絶好の行楽日和だ。

桜もちらほらと開花のニュースが出始めたので、
数日前、近所の公園へ桜見物に出掛けてみた。

しかし、ほとんどの桜はまだ開花せず。

この暖かさがしばらく続けば、
熊谷桜も一気に花を咲かすのではないだろうか。

 

さて今回のテーマはこれ。

「作ったやきものどうする」。

 

趣味でやきものを作っている人はたくさんいるだろう。

やきもの作りは楽しい。しかし、作ったやきものは増えていく。
さてどうしようと。

 

いろんな方法が考えられるので、思いつくままに羅列してみよう。

 

1、知り合いや友達にあげる。

知り合いを訪ねていく際に、手土産代わりに1、2個もっていく。

あるいは、友達への誕生日のプレゼントとして、
買ったもの+やきものセットなんかを贈ってみる。

 

 

2、100均などで竹製のカゴやザルを調達し、
その中にやきものを入れ、書き札を添える。
札には「どれでも好きなものを持っていってください」の一言。

入れたカゴは家の前に椅子でも置いて、その上に置いておけばいい。
近所の散歩人や通行人が物珍しく持っていってくれる。

 

 

3、上記の方法で貯金箱を椅子にくくり、
書き札には「どれでも100円」と書いておく。

田舎の通り沿いにある無人野菜販売の真似である。

但し、ネックがひとつ。

日本はいくら治安が良い国といっても悪い輩はいる。
ヒモにくくられた貯金箱は数日で誰かに持っていかれる可能性がある。

 

7~8年前だろうか。上記と同じように、工房の外の車道脇で、
椅子にやきものを乗せて、貯金箱をヒモでくくりつけたことがある。

1週間ほどしたら何やら人相の悪い連中をちらほらと見かけるようになり、
何か変だなと感じていた。

それから2、3日位しただろうか。
日中いきなり貯金箱を盗まれてしまった。

それまでは無人の野菜販売所が、
なぜいつのまにか無くなってしまうのか
理由がわからなかったが合点がいった。

 

そういった経緯もあるので、この方法を実践するなら、
やはり店番を一人はおかないとうまくいかないだろうと思う。

 

 

4、庭先にほっぽり投げておく。

何年かすると渋い風合いの味がつく。

某有名な作家は自分の工房脇の山に作品をほっぽり投げておく。
個展が近くなると、それらの作品の中から味のついたものを出展していく。

やきものは作ってすぐよりも使い込まれた方がいい風合いになるものだ。
自然の荒波にもまれたやきものは、
骨董のような渋さと威厳が現れるのかも知れない。

 

 

5、フリーマーケットやバザーなんかに出品する。

上記で風合いの出たやきものなんかは特に適しているだろう。

但し、フリマは単価が安いので、お祭りの雰囲気を楽しむのが一番。
売り上げは二の次にした方がいい。

古着や不用品と一緒に売るよりも、
やきもの専門で出店した方がいいかも。
この場合は品数で勝負し、
「どれでも百円」「持ってけ2百円」などの札を数カ所掲げておく。

売れない場合はどんどん値段を下げて、
帰りの荷物をなるべく減らしたい。

 

 

6、捨てる。

過去の歴史を振り返っても、「ものはら」という
やきものの処分場は窯場の近くに必ずある。

せっかく作ったやきものを捨てるのは偲びないが、
腕が上がってくると初級者の頃のやきものは処分したくなるものだ。

4の項にも関連するが、庭先に「ものはら」を作っておくのも一考である。
もしかしたら数十年後、名品に化けるかもしれない。

 

 

7、寄贈する。

ある程度腕が上がってからの方がいいかも知れないが、
行きつけの飲食店や近隣の福祉施設などに使ってもらう。

自分の作ったやきものが人様の役に立つのだから、
これほどうれしいことはない。

 

 

以上、思いつくままに書いてみたが、
まだまだ考えれば他の方法もあるはずだ。

絵画や書なんかは、もらう方もどこに飾ろうか考えたり、
捨てるに捨てられず処分に困るものだが、
やきものに関しては食器の類であれば、
もらって嫌がる人はいないだろう。

本人の趣味に合わなければ捨てるのも簡単にできるので、
その点は気楽にあげられるのではないだろうか。

 

また何かいい方法を思いついたら後日書いてみたい。